もう25年も前になりますが、学生時代は生活の為、アルバイトを掛け持ちしていました。お金を稼ぐ以外に興味本位で様々な業種を見たいという気持ちがあり、コンビエンスストアをベースとして続けながら、色々なアルバイトをしました。
大学1年の時にパチンコ屋でアルバイトする機会がありました。パチンコ屋でアルバイトしたきっかけは…
・生活費と自動車教習所の費用を稼ぐため
・興味本位(多くの人がパチンコ屋に行く理由)
25年前でもパチンコ屋の時給は良く、短期間で稼げる仕事でした。大学1年の休みに自動車教習所(合宿)の資金を貯めるため、コンビニとの掛け持ちでアルバイトを始めました。
当時のパチンコ屋でのアルバイト
当時のパチンコ屋での状況ですが、25年も前の事なので、今とはかなり状況は異なっていると思います。
私が働いていたパチンコ屋は、中核都市の駅前にあり、結構繁盛していました。その当時は、パチンコ屋に対する規制は少なく、かなりギャンブル性が高かったと思います。
例えばその当時は、パチンコ玉は1つで4円、パチスロは1枚20円しかない時代(今は1円以下のパチンコや2円スロット等あり)であり、当りが大きければ、外れ続けると大損する様になっていたと思います。
また私が働いていた店は、等価交換でした。等価交換というのは、出た玉やコインが購入した価格と同じ価格で交換できるお店であり、パチンコやパチスロをしていた人からすると、「出ない店」というイメージがあったようです。
お店には、店舗の家賃や従業員の給料、水道光熱費など支払う必要があり、当然お客から収益を回収しなくてはなりません。
大体出る確率が高い店は、交換ルートが7.5掛けか7掛けで「お店側の費用も回収しますが、ある程度お客さんにも還元します。」であるとその当時聞かされていました。
「等価交換は出ない」というイメージですと、お客さんは来なくなるのですが、駅前で立地が良かった事と、ギャンブル性の高さ(出る台と出ない台の差が激しい)から、何時もお客さんで一杯でした。
出る台に当たると、開店から閉店までずっと出続ける事もありました。私が働いた期間では、1日で最高32万5千円勝ったお客さんがいました。
パチンコ屋の常連さん
パチンコ屋で1ヵ月以上働くと、毎回顔を合わせる常連さんの存在に気づきます。印象に残っているのは、50歳位の男性で何時も紙袋を持って来店するお客さんです。
この人が勝っている時を全く見たことが無く、何時も何万円も負けており、酷い時には「朝から15万円も突っ込んでいるけど、全く出ないよ~」と言っていました。平日もいるので、働いている様子もなく、このお金はどこから湧いてくるのだろうか…と思いました。
あとその当時からパチンコやパチスロで稼いでいるプロの方がいました。職場の先輩から教えられて知ったのですが、よく見ると確かにこの人はプラスになっているな、と感じました。
プロの方は打つ金額を決めているようで、5千円~1万円打って出ないと、さっさと帰ってしまいます。逆に勝てる時には閉店まで打って、かなり稼いでいました。
パチンコ屋で働く人々
私が働いていたパチンコ屋の従業員は、殆どが20歳台の若いアルバイトです。なぜか皆さんパチンコ好きな人ばかりで、お店で仕入れた(?)情報を元に、他のパチンコ屋に行って打っていました。
普通に考えて、これだけお客が儲からないシステムを目の当たりにすると、とてもパチンコをしたい気持ちにはならないのですが。
またお店の中には「次長」と呼ばれる責任者の方がいました。この方は45歳位で、通常はお店の奥の事務所に控えて、何かあったら出てきます。また閉店後のパチンコ台の釘の調整もこの次長とアルバイトのリーダー格の人がやっていました。
通常時のお店のトップは次長ですが、もっとえらい「オーナー」という人がいました。この方は、月に1度閉店後の給料日に現れ、給料(現金)を従業員に手渡しします。
ちなみにこの方は外国人(?)と思われ、従業員の前で話をした時に、「じゃあ、ライケツモ、カンパッテクダサイ」という有難い言葉を聞き、ああオーナーはあちらの国の人なんだな…と気づきました。
結局このアルバイトは半年位続けた後、目標としていたお金が貯まったので辞めましたが、普段中々見る事が出来ない世界を見る事ができ、人生の経験になったと思います。
最後に。私が疑問に思っていた「多くの人がパチンコ屋に行く理由」については、結局分からなかったです。その時一度だけパチンコをしましたが、残念ながら面白さも行く理由も私には理解できなかったです。
機会があれば、また別の記事でパチンコ屋の話を紹介できれば、と思います。