学生時代は仕送りが最小限(授業料+少し)だったので、本当にお金がなく生活費を切り詰めるのに必死だったと思います。
今考えると確かに授業料を払ってもらえただけでも有難かったのですが、家賃込みで5万円の仕送りだったと記憶しています。
元々それほどお金がない家庭ではなかったのですが、父親が若い時に貧乏で苦労したこともあり、「学生の本業は勉強であり、自分で稼いでもいないのに贅沢するのは有りえず、仕送りも最低限で良いだろう」という考えで、仕送りが決められていました。
20年以上前の話になりますが、バブルが崩壊した後の1995年頃ですので、今とそれほど物価は変わっていないと思います(ちなみに日本人の平均年収は、1995年で457万円、2019年で441万円です)。
大学から晴れて一人暮らしになったのですが、家賃は最もコストのかかる固定費なので、地元の不動産屋を回り、最も安い物件を探して住んでいました。
住んでいたアパート
ちなみに私が1~2年ほど住んでいたアパートは、以下のような感じです。
・家賃 : 1万5千円
・間取り : 2DK
・築年数 : 50年以上
トイレは汲み取り式で夏場の臭気が酷く…(お食事の方、すいません)、アパートには部屋が6戸ほどありましたが、殆ど空き家だったと記憶しています。エアコンは無く、夏場はかなり暑かったと思います。
このアパートは、さびれた漁港の近くに建っていたいました。昔はその漁港周辺に鉄工所が幾つかあり、出稼ぎ労働者の方々が繁忙期に沢山来られていたようで、このアパートも限られた期間だけ出稼ぎ労働者に使われる宿泊施設だったようです。
私が住んでいた当時は既に鉄工所は無く、さびれた漁港に建つ借家人が殆どいないアパートでした。タコ部屋の様に複数人泊まれるようにしてあったのか、部屋の広さは2DKありました。ただ、私は学生時代から所持品が少なく、1部屋しか使っていませんでした。
大学では授業や研究/レポート作成、生活費を稼ぐためのアルバイトと日々忙しく、夏休みなどアルバイトを掛け持ちしていた時は、睡眠時間が毎日2時間ほどしかなく、アパートには寝に帰るだけの生活だったと思います。
大学時代の友人の中には、下宿せずに自宅から通っている人もおり、大学から比較的近い私のアパートは、飲み会などで、結構たまり場になっていました、私が不在なのに家には友人が沢山いて、飲み会でご近所から苦情が来ることも…。
その当時の大家さんには悪いのですが、本当にボロイ物件でその当時はよく入居したと我ながら思いますし、友人たちも良く寝泊まりに来たなと思います。
住んでから1年位経って
ある日私の友人の一人が初めてアパートを訪ねた時、悪寒がして震えが止まらなくなりました。その人は霊感が比較的強いらしく、「このアパートには絶対何か(幽霊?)いる。よくこんな所に1年以上も住んでいるな。」と言われました。
確かにそのアパートは街外れの人気(ひとけ)が無い所にあり、また日陰でじめじめした感じの建物だったので、言われてみれば…とい感覚でした。
しかし私は霊感が全くないらしく、住んでから何も感じたことは無かったです。また毎日が忙しく、帰っても直ぐに爆睡していたので幽霊など感じる余裕もなかったのでしょう。
その後人づてに聞いた話では、過去にそのアパートで首つり自殺があったらしく、友人の話は本当だったようです。
突然の引っ越し
その後も何も起こらず忙しい日々が過ぎていきましたが、ある日突然親が家を訪ねてきました。この時はまだ携帯電話がなく、アパートにも固定電話が無かったので、両親が訪ねに来た時に初めて3ヵ月以上音信不通だったことに気づきました。
その時住んでいたアパートを見て大変驚き、「なぜこんな酷い所に住んでいるのか?」と言われました。私自身、特に問題とは感じていなかったので、"酷い所” は少し心外でした。
生活の為でなので仕方がない事を説明すると、「家賃を少し補助するから引っ越ししてくれ」と言われ、その後直ぐにボロアパートを退去する事になりました。
そのままボロアパートに住み続けても良かったのですが、両親はこの時の生活状況を見て心配になったようで、仕送りを増やしてくれるようになりました。
引っ越し後のアパートは、月4万円のワンルームで築20年以上経っていましたが、私には新築豪華マンションのように感じました。
若い時は少々の貧乏(私の事例は極端ですが)でも気にならず、今考えると親も驚くボロアパートに住んだ事は、よい経験になったかな…と勝手に思っています。